一緒に
晩秋こそ
木の葉が光を透す季節。
舞い落ちた枯葉を一枚一枚かき分けて頭を出すキノコ。
剥き出しになった枝の間から鳴き声を届けてくれる小鳥たち。
都会にぽつんと残された雑木林では、秋そしてどんどん深まっていく冬こそ、地上に生きているモノがたくさんあるのだと知ることができる季節。
そんな風に感じて、毎日どきどきしはじめています。
主人を待つ薔薇
私たちが手入れをしている住宅街の小さな森の中でも
なかなか足を踏み入れない急斜面があります。
冬の中にこっそり隠れている生き物を探しに急斜面を上ると、周囲の景色に似合わないピンク色の薔薇がたった一輪咲いていました。
聞けば、一輪だけが細く伸びた枝の先に咲くのだそうです。それも、何年も同じように。
花数を増やすでもなければ、朽ちることもなく、いつもたった一輪。
自生の花ではないので、昔々誰かが植えたのでしょう。でも
そんな急斜面の暗い場所にいったい誰が?そしてなぜ、いつも必ず一輪なのでしょう。
もしかしたら、昔々そこに植えてくれたご主人をずっと待っているのかもしれません。
私はここで、今日も変わらずあなたの帰りを待っています。
そう語っているように思えます。
だから私たちは、そっとそのまま見守っているのです。無理に日当たりのいい場所に植え替えて増やそうとせず。
もしいつか、その薔薇の姿が見えなくなることがあれば、疲れてしまったのだと思わずに、ご主人と再会して安堵したのだと思うことにします。その花の願いが叶ったのだと思うことに。
ど根性バタフライ
人生を変える人
つい先日、日比谷の大銀杏の下で、ひとまわりほど年上のある女性に会ってきました。
どうやら人にはそれぞれ自分の生き方を変えた人が幾人かいるようで、私にとって彼女はそんなひとりです。そしてその縁にも不思議なものを感じます。
かつて、その人が自らの体験を書いた書籍がドラマになり、それを見たことが前職を辞める決定打になりました。(理由はともあれ。)
それから15年後、貴女にカメラを向ける番組を作らせてくれと会いにいくことになり(自分にとって強烈すぎる存在なのでその人を題材にはしたくなかったんですが、なぜか不思議にその人に行き着いてしまったので、ある意味仕方なく。笑)、
さらに15年以上経っての今、です。銀杏の木の下で、今抱えているたくさんの思いを共有してくれました。
実は私がまだランドセルを背負っていた頃、その人とは薄い壁1枚隔てたところに住んでいました。もちろん当時はそんなことは全く知らなかったのですが。九州から東京に出てきた20代だった彼女の住まいの隣に、九州から出て関西や関東を転々としていた我が家が移り住んだ、ということです。(彼女がそこを去った直後に私たちが住まったので、正確にはニアミスだったようですが。)
目の前の大銀杏は、明治時代に道路拡張で処分されそうになったところを移植されたもの(当時からすでに大銀杏だったらしく)。近づいて二人でしばし見上げていました。その佇まいには圧倒されるものがあります。
すると足下に落ちている黄色い葉を見て、彼女が言いました。
「この葉、他のイチョウとちょっと違いませんか?」
見れば小ぶりで真ん中のくぼみがないものばかりが落ちていました。
大きな大きな木がほかより小さな葉を無数に抱えていることに気づく人。そんな人に人生を変えられたのだとしたら、本望だ。そんな気がしました。
他愛もない話ですが。