ショートエッセイ いきもの語り

年老いた猫が寝たきりになり、見送りました。3年間このブログを開くことを躊躇っていましたが、コロナ禍で感じ続ける生きていることの奇跡と感謝をあらためて綴ってみようと思います。

働く小鳥

鳥たちの恋の季節です。
キジバトの男子が女子に首を振ってアプローチをしていたり
電線の鳥たちが2羽ずつきれいに分かれていたり。
おやおやと微笑ましく見ています。
 
 一昨日、公園の高い樹木のてっぺんに不思議なものをみつけました。
カマキリの卵にしては大きいし、鳥の巣にしては小さいような。
遠目なのでよくわかりませんがおそらくゴルフボールより少し大きいぐらいのものです。
 
写真に撮って拡大して見てもらったところ、メジロの巣ではないかということです。
そういえば昨年、風に吹かれたのか地面に落ちているものを見かけました。
上手に編まれていて、中には丁寧にコケが敷いてありました。
昨日の雪や風が心配だったので様子見に行きましたが、大丈夫そう。結構頑丈に作ってあるのでしょう。
鳥たちが出入りしているところにまだ出会していませんが、家を準備して、さあこれから子育てを。というところですねきっと。
 
気にして見ていれば口に小枝を加えている小鳥に出会うこともある、そんな季節です。
働く小鳥を見かけたら、がんばれと声をかけることにしましょう。

#小鳥 #巣作り #恋

一緒に

お年寄りのご夫妻が手を繋いで
黙って電車が来るのを待っていました。
ずっと以前ひとり旅をしていた時、奈良県のある駅で、向かいのホームに見かけた光景です。
当時はそんな様子が珍しく、微笑ましく心に残っています。(今ではたまにいらっしゃいますよね。)
 
私は電車に乗る時、たいがい車両の端の扉横に立っています。
その辺りは懐深い構造になっていることがあり、体をすっぽりはめられ、乗り降りする人の邪魔になりにくいので。
 
一昨日も各駅停車の定位置に立っていると、
モコモコな冬服に身を包み手を繋いだお年寄り夫妻が乗ってきました。
手を繋ぐというより、女性を男性が支える格好です。もしかしたら、認知に問題ありかなと少し思いました。
ご夫妻は、私が背中を預けているすぐ後ろに座りました。なので何かあったら手助けできるかと聞き耳を立てました。
 
その駅は、電車の待ち合わせがある駅でほんの少し停車時間が長く、静かな時がちょっと続いていたので、おふたりの小さな声がはっきり聞こえました。
妻さんがゆっくり言います。
「ここでは遠くに行く電車(おそらく急行のこと)に乗れるのよねぇ」
夫さん「遠く?」
妻「遠くに行く電車」
夫「ああ、そうだね」
妻「…行きたいねぇ、どこか遠くへ」
夫「遠くったって、今さらどこへいくんだよ(少しの温かい笑い)」
会話は終わり、電車も動き出しました。
お二人の顔は見えませんでしたが、言葉の柔らかさが背中に響いていました。
そして、隠れていた言葉を想像して、涙のひとつぶでもこぼしてしまいそうになりました。
一緒に。
一緒に旅、したいね。
 
ハッピークリスマス。
温かな時間に包まれますように。
 

天然のオーナメント

 

晩秋こそ

木の葉が光を透す季節。

舞い落ちた枯葉を一枚一枚かき分けて頭を出すキノコ。

剥き出しになった枝の間から鳴き声を届けてくれる小鳥たち。

都会にぽつんと残された雑木林では、秋そしてどんどん深まっていく冬こそ、地上に生きているモノがたくさんあるのだと知ることができる季節。

そんな風に感じて、毎日どきどきしはじめています。

雑木林の秋

枯葉の間に

今年もここにジョウビタキ

 

主人を待つ薔薇


私たちが手入れをしている住宅街の小さな森の中でも

なかなか足を踏み入れない急斜面があります。

冬の中にこっそり隠れている生き物を探しに急斜面を上ると、周囲の景色に似合わないピンク色の薔薇がたった一輪咲いていました。

聞けば、一輪だけが細く伸びた枝の先に咲くのだそうです。それも、何年も同じように。

花数を増やすでもなければ、朽ちることもなく、いつもたった一輪。

自生の花ではないので、昔々誰かが植えたのでしょう。でも

そんな急斜面の暗い場所にいったい誰が?そしてなぜ、いつも必ず一輪なのでしょう。

もしかしたら、昔々そこに植えてくれたご主人をずっと待っているのかもしれません。

私はここで、今日も変わらずあなたの帰りを待っています。

そう語っているように思えます。

だから私たちは、そっとそのまま見守っているのです。無理に日当たりのいい場所に植え替えて増やそうとせず。

もしいつか、その薔薇の姿が見えなくなることがあれば、疲れてしまったのだと思わずに、ご主人と再会して安堵したのだと思うことにします。その花の願いが叶ったのだと思うことに。

一輪だけ開く薔薇

 

ど根性バタフライ

葉が落ちると、隠れていたモノが見えてくるので、住宅街にある100×300mほどの小さな「森」で宝探しが始まります。
と言っても、宝はなかなか現れず、
去年はメジロやカラスの古巣、カマキリのたまごぐらい。
でも、月4回しか入れない場所なので、毎回なんとか人間以外の生き物によるものづくりの痕跡をと目を皿のようにしています。
 
 数日前、今日も収穫なしか〜と帰路につくと、
アスファルト端のど根性植物の小さな群れに、この時期に珍しくアゲハチョウがいることに気づきました。
しかも生まれたてのアゲハです。
車や自転車やら人がビュンビュン通る場所なので
え?こんなところで??と思いましたがサナギだった薄皮にしがみついているので間違いありません。
 
美しい蝶ですが、特定外来生物とやらに指定されているアカボシゴマダラ。
詳しいことは知りませんが、在来種を駆逐する可能性があると危険視されているそうです。それだけ繁殖力が強いのでしょうか。
こんな場所で危険を顧みず、
しかもこんな時期に羽化するのですから、
ど根性バタフライと名付けたくなります。
 
翌日にはすでに姿がなく、
成虫では越冬しないらしいので、冷たい今日の雨の中どこかで震えているに違いありません。
せっかく無事に生まれてきたのですから、少しでも楽しいことがあればいいのだけどと思います。
生まれたてに気づいて近づいて、怯えさせてしまって申し訳ないと思いつつ。

アカボシゴマダラ誕生

人生を変える人

つい先日、日比谷の大銀杏の下で、ひとまわりほど年上のある女性に会ってきました。

どうやら人にはそれぞれ自分の生き方を変えた人が幾人かいるようで、私にとって彼女はそんなひとりです。そしてその縁にも不思議なものを感じます。

かつて、その人が自らの体験を書いた書籍がドラマになり、それを見たことが前職を辞める決定打になりました。(理由はともあれ。)

それから15年後、貴女にカメラを向ける番組を作らせてくれと会いにいくことになり(自分にとって強烈すぎる存在なのでその人を題材にはしたくなかったんですが、なぜか不思議にその人に行き着いてしまったので、ある意味仕方なく。笑)、

さらに15年以上経っての今、です。銀杏の木の下で、今抱えているたくさんの思いを共有してくれました。

実は私がまだランドセルを背負っていた頃、その人とは薄い壁1枚隔てたところに住んでいました。もちろん当時はそんなことは全く知らなかったのですが。九州から東京に出てきた20代だった彼女の住まいの隣に、九州から出て関西や関東を転々としていた我が家が移り住んだ、ということです。(彼女がそこを去った直後に私たちが住まったので、正確にはニアミスだったようですが。)

目の前の大銀杏は、明治時代に道路拡張で処分されそうになったところを移植されたもの(当時からすでに大銀杏だったらしく)。近づいて二人でしばし見上げていました。その佇まいには圧倒されるものがあります。

すると足下に落ちている黄色い葉を見て、彼女が言いました。

「この葉、他のイチョウとちょっと違いませんか?」

見れば小ぶりで真ん中のくぼみがないものばかりが落ちていました。

大きな大きな木がほかより小さな葉を無数に抱えていることに気づく人。そんな人に人生を変えられたのだとしたら、本望だ。そんな気がしました。

他愛もない話ですが。

 

種子という名の生命劇場

この時期は、
虫の音も小さくなり、鳥の声は聞こえどもその姿は葉に隠れていて、
足下でかさかさと鳴る落ち葉と
光を透過し始めた葉の向こうから届く木漏れ日くらいしか楽しみがなく、
 森に行くのをやめようかな〜
なんてちょっと思ったりしてしまいます。
 
実は森に入るのは、種子や棘が体につかないようにツルツルの上着を着たり、すべらないようにトレッキングシューズを履いたり、マダニ対策のレッグカバーをつけたり、それなりに準備が面倒なので。
ただ、蚊のシーズンは終わったことだしと、重い腰をあげて行ってみると、今まで見えていなかったものを教えてくれる先輩たちがいて、得体の知れない奥深さにあらためて感じ入っています。
 
森の仲間に入って2年。キリッとした佇まいの、ちょっと厳しそうな女性が先月、
「昨日テレビドラマで見かけましたよ」
といきなり声をかけて来られたので驚きました。
どのドラマのことだかいまだにわからないのですが(30年前はテレビドラマに出ていました)、そんなことがきっかけて少し話をするようになり、
先週、彼女が何やらひとつの植物と格闘しているので、何をしているのか声をかけたら
ちょうど良かった!シュンランの種が飛ぶのを撮っているのだけど、スローモーションで撮ってくれない?
と逆に頼まれてしまいました。
 
都市部では希少種になっているシュンランの株は、その森には30ほどあるのですが、種をつける株は2つしかなく、
その種も、粉よりは形状があるものの粒と呼ぶには小さく、それが風に乗って飛んでいく様子を撮ってくれないかな〜というのです。
でも、失敗しちゃいました。
何かが写ってはいるものの、なんだかなぁ。。。
なので、今月の課題は、どうしたらシュンランの種が噴き出る様子を撮れるか。
 
10日後また挑もうとしたら、その種はもう空っぽで、もう1箇所を探し当ててまあまあのところまでこぎつけました。でもまだまだ満足できません。
そんなことをしていたら、あそこにこんな種があるよと
他の先輩が教えてくれて。
植物ひとつに種の工夫ひとつ。
しかも、無駄に美しい。
見えていなかったものが少しずつ見えてくるのはとても楽しいことで。こんな面白い生命劇場を見逃して毎日を過ごすのは、ちょっともったいないと思ってしまいます。

ノアザミの種