ショートエッセイ いきもの語り

年老いた猫が寝たきりになり、見送りました。3年間このブログを開くことを躊躇っていましたが、コロナ禍で感じ続ける生きていることの奇跡と感謝をあらためて綴ってみようと思います。

種子という名の生命劇場

この時期は、
虫の音も小さくなり、鳥の声は聞こえどもその姿は葉に隠れていて、
足下でかさかさと鳴る落ち葉と
光を透過し始めた葉の向こうから届く木漏れ日くらいしか楽しみがなく、
 森に行くのをやめようかな〜
なんてちょっと思ったりしてしまいます。
 
実は森に入るのは、種子や棘が体につかないようにツルツルの上着を着たり、すべらないようにトレッキングシューズを履いたり、マダニ対策のレッグカバーをつけたり、それなりに準備が面倒なので。
ただ、蚊のシーズンは終わったことだしと、重い腰をあげて行ってみると、今まで見えていなかったものを教えてくれる先輩たちがいて、得体の知れない奥深さにあらためて感じ入っています。
 
森の仲間に入って2年。キリッとした佇まいの、ちょっと厳しそうな女性が先月、
「昨日テレビドラマで見かけましたよ」
といきなり声をかけて来られたので驚きました。
どのドラマのことだかいまだにわからないのですが(30年前はテレビドラマに出ていました)、そんなことがきっかけて少し話をするようになり、
先週、彼女が何やらひとつの植物と格闘しているので、何をしているのか声をかけたら
ちょうど良かった!シュンランの種が飛ぶのを撮っているのだけど、スローモーションで撮ってくれない?
と逆に頼まれてしまいました。
 
都市部では希少種になっているシュンランの株は、その森には30ほどあるのですが、種をつける株は2つしかなく、
その種も、粉よりは形状があるものの粒と呼ぶには小さく、それが風に乗って飛んでいく様子を撮ってくれないかな〜というのです。
でも、失敗しちゃいました。
何かが写ってはいるものの、なんだかなぁ。。。
なので、今月の課題は、どうしたらシュンランの種が噴き出る様子を撮れるか。
 
10日後また挑もうとしたら、その種はもう空っぽで、もう1箇所を探し当ててまあまあのところまでこぎつけました。でもまだまだ満足できません。
そんなことをしていたら、あそこにこんな種があるよと
他の先輩が教えてくれて。
植物ひとつに種の工夫ひとつ。
しかも、無駄に美しい。
見えていなかったものが少しずつ見えてくるのはとても楽しいことで。こんな面白い生命劇場を見逃して毎日を過ごすのは、ちょっともったいないと思ってしまいます。

ノアザミの種