ショートエッセイ いきもの語り

年老いた猫が寝たきりになり、見送りました。3年間このブログを開くことを躊躇っていましたが、コロナ禍で感じ続ける生きていることの奇跡と感謝をあらためて綴ってみようと思います。

お届けもの

お荷物です。と、郵便屋さんがやってきました。
何かを買った覚えもなかったので、何だろうと差し出し人の名前を見て思いました。
 
あ、届いたんだ。。。
 
 荷物が私に届いたのではなく、
私の思いが会ったことのないその人に届いた。
そう感じたのです。
 
結構ヒリヒリすることの多い作業場のひとつで、いつも静かに微笑んで、何事にも動じない女性がいました。
私より少し若い人です。
彼女がいたおかげで、その場所に行く苦痛も少し軽くなっていました。
5月の作業の時も、静かに冗談を言って笑っていました。
でも、10月に再び訪れた時には彼女の姿がありませんでした。
重い病が発覚して、あっという間に逝ってしまったとのことです。
 
ご葬儀は親族だけでということでしたし、そんなに親しい間柄でもなかったので、せめてもと弔電を打つことにしました。
親しくはなかったけれど、寂しくて悲しかったので。
そして宛先である喪主がお兄様だと知って、そうかと思いました。
兄弟に話すこともあまりないだろうから、彼女がどのように働いていたか、ご家族はきっとあまりご存じなかったのではないかと。
なので、
弔電の形式としては一般的ではないかもしれないけれど、
仕事上彼女に助けられていたと、お悔やみの言葉に添えて送りました。
具体的にどんな言葉を書いたかは記憶に定かではありませんが。
 
弔電に香典返しはあまりないことなのではないかと思います。
だから、差出人の名前を見てとても驚きました。
それでもこうして送ってくださったということは、
彼女を失ってとても残念に思っている人間が間違いなくここにいることが伝わったのでしょう。
 
彼女がいなくなったことを知ってから、彼女が使っていた机がどうなっているのかを想像すると涙が出てくるので、その作業場には近寄りたくなかったのですが、そうも言っていられないので、会議の後、大勢の中のひとりとして顔を出しました。
その机はもう別の人の色になっていて、悲しみの気配はどこにもありませんでした。
時間が先へ先へと進んでいることを実感させられました。
今も慌ただしく流れる時間の中、突然届いた化粧箱入りの菓子に、数ヶ月前の彼女の静かな微笑みがよみがえりました。その笑顔を、こんどはご遺族が私に届けてくださったのだと受け取っています。