ショートエッセイ いきもの語り

年老いた猫が寝たきりになり、見送りました。3年間このブログを開くことを躊躇っていましたが、コロナ禍で感じ続ける生きていることの奇跡と感謝をあらためて綴ってみようと思います。

天国のカフェ@何もない島

天国みたいなカフェにひとり。ぼおっと水平線を眺めていました。

オーナーの女性がその視線に気づいたのか、

あの向こうの白波が立っているところに、昨日はクジラがいたんですよ。

と教えてくれました。

この珊瑚に囲まれた島には、何もありません。

それでも28年間でおよそ10回、いや、もしかしたらもっと訪れています。

何もないから行くんです。一時はパソコンを持参したり、宿の人に借りてメールを開いたりしましたが、今回はやめました。どうにでもなれ。

だってぼんやりしに来たのだから。

何もない島も、30年の間にいろいろな変化があったようです。

17年前何もない島を描いた映画ができたことで、何もないを浴びにくる人が多かった時もあり、

今は何もないの中に自分の居場所を作ろうとする人がちらほらいます。特に女性たち。カレー屋さん、コーヒー塾、マッサージ店、そんなことを始めた女性たちに今回の旅では出会いました。天国のカフェのオーナーも、何もないここにカフェを開いた「はしり」かもしれません。

何もないからこそ何かを生み出せるのだと、最近はビジネスチャンスを伺う人もいて、それはそれなりに素敵な施設ができたりしているのですが、なにもここで「何かがある」を作り出さなくても…と、何もないに親しんできた身としては思うのです。

そこに何もなかったら、人は何をしたいと思うものなのでしょう。

癒やしか、チャンスか?

何もないは、がちがちに固められた何かがあるより心が動く。そんな気はするのですが、どんなものでしょうね。

天国みたいなカフェ

 

オオタカも住宅難?

今週、偶然オオタカを見かけました。
都内住宅街の真ん中にある自然保全地区です。
2日続けて姿を見かけ、しかも2日目はつがいだとわかったので
今朝もその姿がないか確かめに行きました。
春の営巣時期なので。
 
朝から暑すぎ。いないかもと思って待つこと1時間。やっぱりかと帰ろうとしたら現われてくれました。2羽一緒に。
一昨日あんなにカラスの大群に追われていたのに、やはりここに営巣する気満々なようです。
 
この後、オスが飛び去ったのに、メスはじっとその場にいました。
 一昨日の行動を思い起こすと、オスがきっと戻ってくるはずだと思い、
私もメスと一緒にオスの帰りを待ちました。
その間27分。
帰ってきたオスは、メスのいる枝の斜め下にとまり、
枝をついばみはじめました。
メスもそれにならって自分の足元を削りながら、何やらオスに話しかけています。オスもそれに応えて。
いったい何を話していたんでしょうね。
 
間も無く2羽は一緒に飛び去っていきました。
本日の観察はここまで。
この観察、この春いっぱいやめられそうにありません。
彼らが現れる限り、ではありますが。子育ての姿を見てみたいものです。

つがいのオオタカ

お裾分け

久しぶりに午前の鳥探索に出かけ、
なんとか冬鳥の季節に間に合ったと
ウキウキしていた帰り道、
1時間半ほど頭の中が、鳥、鳥、鳥、だったので
電線に止まっている鳥にも意識が向いて、
 ああ、あれはムクドリね、
なんて目を向けると…
雨などなかったはずなのに
空に丸い虹が。
小鳥が知らせてくれた景色。
ちょっとお裾分け。

ハロもしくは虹

お届けもの

お荷物です。と、郵便屋さんがやってきました。
何かを買った覚えもなかったので、何だろうと差し出し人の名前を見て思いました。
 
あ、届いたんだ。。。
 
 荷物が私に届いたのではなく、
私の思いが会ったことのないその人に届いた。
そう感じたのです。
 
結構ヒリヒリすることの多い作業場のひとつで、いつも静かに微笑んで、何事にも動じない女性がいました。
私より少し若い人です。
彼女がいたおかげで、その場所に行く苦痛も少し軽くなっていました。
5月の作業の時も、静かに冗談を言って笑っていました。
でも、10月に再び訪れた時には彼女の姿がありませんでした。
重い病が発覚して、あっという間に逝ってしまったとのことです。
 
ご葬儀は親族だけでということでしたし、そんなに親しい間柄でもなかったので、せめてもと弔電を打つことにしました。
親しくはなかったけれど、寂しくて悲しかったので。
そして宛先である喪主がお兄様だと知って、そうかと思いました。
兄弟に話すこともあまりないだろうから、彼女がどのように働いていたか、ご家族はきっとあまりご存じなかったのではないかと。
なので、
弔電の形式としては一般的ではないかもしれないけれど、
仕事上彼女に助けられていたと、お悔やみの言葉に添えて送りました。
具体的にどんな言葉を書いたかは記憶に定かではありませんが。
 
弔電に香典返しはあまりないことなのではないかと思います。
だから、差出人の名前を見てとても驚きました。
それでもこうして送ってくださったということは、
彼女を失ってとても残念に思っている人間が間違いなくここにいることが伝わったのでしょう。
 
彼女がいなくなったことを知ってから、彼女が使っていた机がどうなっているのかを想像すると涙が出てくるので、その作業場には近寄りたくなかったのですが、そうも言っていられないので、会議の後、大勢の中のひとりとして顔を出しました。
その机はもう別の人の色になっていて、悲しみの気配はどこにもありませんでした。
時間が先へ先へと進んでいることを実感させられました。
今も慌ただしく流れる時間の中、突然届いた化粧箱入りの菓子に、数ヶ月前の彼女の静かな微笑みがよみがえりました。その笑顔を、こんどはご遺族が私に届けてくださったのだと受け取っています。

ニホンミツバチの門番

ミツバチがかわいい。
と、旧い友人が語っていた。
 
うん。「自然派」(とくくってしまうのは好まないが)の人たちがミツバチを大切に思っているのは知っている。
でもね、怖いじゃない。
 針持ってるし。集団でいつ襲ってくるかわからない。
花をさがす丸っこいマルハナバチをかわいいと思ったことはあるけど、
それ以外のハチは…ねえ。
 
でも、彼女が何をもってかわいいと言っているのか、それを知りたくて、
筑波山の麓に移り住んだという彼女を訪ねてみた。
片道3時間半。なかなかの旅だ。
北に筑波山。南は一面の水田。
「一目惚れしてここを買ったの。陽が十分当たるし、夫との老老介護を考えて好きな建築家にデザインを頼んで」
と、望みどおり作った住まう場所に蜂の巣タワーが5つ。ニホンミツバチを5群れ飼っているのだそうだ。
 
「たぶん今は成虫になったハチが飛ぶ練習をする時間ね」
と、わんわん騒ぐハチの群れを見て言う。「時さわぎ」と言うのだそうだ。
で、タワーの入り口に指を添えて、
「今は機嫌が悪くないみたいだから、ここに指を出しても襲ってこないよ。
機嫌が悪い時は体当たりしてくるからわかるの」
と教えてくれた。
 
入り口に顔を近づけてよく見ていると、後ろ脚に朱色や淡黄色の花粉だんごをつけたミツバチが帰ってくる。
そこに、飛ばずにうろうろしている一匹がいる。あれ、これ飛べないのかなと思っていると、
「門番だね」
と、彼女。
敵が入ってこないように、この群れならではの臭いをつけていて、敵の侵入を見守っているらしい。
 
「ミツバチを見ていると、よく働くな〜働かなきゃと思うのよね」
そう話す彼女は、植物の遺伝子の研究者で、植物の菌根菌を好む遺伝子を世界ではじめて特定したチームにいたらしい。
そして今、「仕事」をやめて、自力で生きることを自らで試しているという。
 
なぜ私が彼女に会いに、往復7時間かけて行ったか。
彼女がとても綺麗だったから。何十年かぶりに再会した時、ああ、この人はいい生き方をしてきたんだなと感じたから。
 
彼女が手をかけている庭でたんぽぽのタネ飛ばしを試す。
でも、扇子を使っても飛ばない。
「これは、明日飛びたいタネだね。今日はまだ早いみたい」
たんぽぽの気持ちになって会話をするなんて、子どもの時みたいだ。と、ちょっと可笑しくなった。
 
お土産に、ニホンミツバチの百花蜜をたっぷりいただいた。
こんな貴重なものを…と、お金に換算して食べ物の価値を考える自分にあらためて気づく。
帰りは、お勤めの人が帰宅する時間に重なった。
都心から下を向いて地下鉄に乗ってくる人たちも、みんなそれぞれ人生という流れの中にいる。好んで作った流れなのか、そうではないのか。
可能な限り、自分で望んだのだと思える生き方になると嬉しいのだけど。(自分ももちろん、ね。)

飛んでゆけ

旅するキノコ

傘を持つ、私たちがキノコだと思っているものは、子孫をのこすためにつくった形。
このコキララタケは、その子孫を残す形はほんの数日で消えていってしまうのだとか。
私がすぐ近くにいたほんの数時間の間にも、胞子を飛ばしていたかと思えばすぐにその力を失って、少しずつくったりしてくるのが見てとれました。
 
土や倒木の中で菌糸を増やして生きているはずのキノコ、
 どうして胞子を飛ばすのでしょう。
ここではないどこかに新たな生きる場所をさがしているのでしょうか。
 
実際に、キノコだけでなくシダ類も、雨が降って土に湿り気がなければ胞子を飛ばさないそうです。
「すべって土に掴まれないと胞子を飛ばす意味がないからね」と専門家。
コンクリートに固められたところでは、生きづらいでしょうね。
 
胞子が飛んでいく様を見ていたら
キノコにも夢や希望、理想があって
旅をしながら、ああ、ここが自分に合っているみたいだと感じたらそこに「根」をおろして、次の自分をつくっていく。そう考えているように思えます。

コキララタケ

地球の楽しみ

キノコにはまったらおしまいだ。笑
と思っていたので、できるだけキノコを見ないようにしてきました。
種類が多く違いが微妙で、他の植物との関係なんか考えはじめたら、まじめに取り組むには一生かけても追いつかない。
とわかりきっていたので。
 
 でも、森林と関わって3年。
とうとうその魅力にたどり着いてしまいました。
加えてこんどはシダ植物?
いやいや、そこには絶対手を出さない!
なんて消極的な覚悟は、真摯に取り組んでいる人には失礼な話なので、口には出しません。
でも生物分類技能検定の問題集を持ち歩く仲間を見ると、妙に焦ります。
 
ヘラヘラと、
きれいでしょー
おもしろいねー
と囃し立てるばかりを自分の役割にして過ごしています。
 
楽しく写真におさめるために、長野県の直売店で入手したキノコで練習をしました。
今年の秋は雨が少なく(私たちの自治体では10月は平年の半分)、頻繁に通っているある温泉地でも絶望的にキノコが少ないらしいです。
 
いつも思います。
生き物の種類が少なくなりませんように。
生き物はどう見ても限りなく面白いです。
そんな地球の楽しみがなくなりませんように。

なめこの胞子