ショートエッセイ いきもの語り

年老いた猫が寝たきりになり、見送りました。3年間このブログを開くことを躊躇っていましたが、コロナ禍で感じ続ける生きていることの奇跡と感謝をあらためて綴ってみようと思います。

一年草の愛

一年草と聞いていました。
昨年、友人との待ち合わせの時間つぶしにぶらりと入った植木屋で衝動買いしたオジギソウです。
ほんとうに一年でさよならなのかと、冬枯れしても、春になって芽が出なくても、鉢を植え替えることなく放置して見ていました。
 
景色が急に変わったのは夏。
芽が出たかなと思ったら、去年より大きく成長しました。
そして、また愛らしい花をつけました。
土の中で、人知れずこの夏の準備をしていたんですね。
と思うと、健気な花の思い、
生きようとするその強さに頭が下がる思いです。
去年のオジギソウが今年のオジギソウに、強く生きろと愛を込めて、オジギソウなりの命をつなげた。
花が終わったらほかの花に変えるべきだと一年草の扱いを人が決めるのはもったいない。
種をとって、その間他の花にかえて鉢を彩ることに異を唱えるものではありませんが、私は、そのままそこにどんな強さがあるのかを黙って見ているのが好みです。ズボラだからかもしれませんが。
 
今週、身近な方の中に残念な知らせがたくさんありました。
ご家族や周囲の方々に大きな影響を及ぼした人、たくさんの仲間に恵まれていた人、これからお父さんお母さんに愛されるはずの小さな小さな命さえも逝ってしまったと聞きました。
 
この地球上に、愛されない命はひとつもない。
そんなことを考えた一週間でした。
だから、できるだけ命あるものには、私なりの(あまり大きなものではないかもしれませんが)思いを込めて触れていければと思っています。
そして逆に、特に人へ、ちゃんと思いを伝えられない不器用さを残念に思ったりもしています。

オジギソウ