ショートエッセイ いきもの語り

年老いた猫が寝たきりになり、見送りました。3年間このブログを開くことを躊躇っていましたが、コロナ禍で感じ続ける生きていることの奇跡と感謝をあらためて綴ってみようと思います。

自己紹介

さくらという名前の猫を亡くして、丸3年が経ちました。

半身不随の猫が快方に向かうことを信じていたので(その前に逝ってしまった老猫が脚の麻痺から全快したこともありましたし)、彼女を亡くした瞬間からこのブログを開くことができませんでした。

以来猫が身近にいるわけではありませんが、コロナ禍で私を勇気づけてくれているのが、足下にある草花であり、昆虫であり、小さな森の木々であることを確信しました。

地球上にあるあらゆるいきものがどれだけ毎日を豊かにしてくれているか(人ももちろん含めて)、過去友人だけに伝えていた思いもあわせて、自分の記録のために、また書いてみようと思います。

そしてもし、それを読んでくださるどなたかの背中にある何かを押すことができればそれ以上嬉しいことはありません。

 新型コロナウイルスが、学術的に生き物なのかそうではないのか。その判断は私にはできません。ただ、多くの人類学、生物学の研究者が語っているのは、

この地球上で、微生物も含めて命の多様性がなくなっていること。人が活動圏を広げてすぎてしまっていること。「新型」のウイルスはこの先も頻繁に人間を脅かすこと。

このウイルスがそのことに気づかせてくれたことは確かだと思います。生きているものを尊重し、愛おしめる人間でありたいと思っています。決してきれい事ではなく、人の「欲」がどれだけ多くの人に危害を与えているのかに今気づかなければ、「ヒト」の未来もない。それを正すのは、多くの生き物を愛おしむことに尽きると考えているからです。