ショートエッセイ いきもの語り

年老いた猫が寝たきりになり、見送りました。3年間このブログを開くことを躊躇っていましたが、コロナ禍で感じ続ける生きていることの奇跡と感謝をあらためて綴ってみようと思います。

飼い主さんの健康と静かな最期のために

ペットの介護中の飼い主さん、飼い主さんご自身の体は大丈夫でしょうか?

 

私は、さくらの介護中、ぐっすり眠れたことはありませんでした。

オムツをしていても時々小水が横漏れしたりするので、介護中は寝室を別にしていました。が、隣の部屋で苦しそうにしていないか、脱水症状を起こしていないか、寒くはないか暑くはないか…夜中もずっと耳は起きていたように思います。

さすがに、疲れた…と

ひと月経った頃には思いました。頭痛はします。肩こりもひどいです。食欲もなくなってきました。

そんな時です、さくらが逝ってしまったのは。

もしかしたら、飼い主の体調を気遣ってくれたのかもしれません。

 

最後の夜は、さすがに、彼女はもうだめなんじゃないかと思いました。

猫は人間より体温が高く、37度台の後半であることが望ましいらしいので、

人が風邪をひいて暑苦しいと思うくらいの体温がちょうどいいようです。

その晩は、手足は冷たくなっていましたし、お腹に手を当てても「熱い」という感覚はありませんでした。

食事もすぐにモドしました。水もあまり要らないようです。

夜の間に逝ってしまうかもしれないと思ったので、

その日は、さくらの居る2畳ほどに折りたたんだカーペットのすぐ隣に、布団を敷いて横になりました。

翌朝、さくらはまだ息をひきとっていませんでしたが、

体温は相変わらず低く、「朝だよ」と声をかけてもいつものような反応はありませんでした。

このまま抱いて数時間の間に天国へ送ろう、と思ったのですが、

愚かなことに、生への欲が出て、

お水少し飲ませました。ちょっと飲むのがたいへんそうで、2口含んだら、もういらないと手で合図をしました。

ご飯はどうだろう?まさかこの状態で食べるわけがないよね。

と思いながら、

「ご飯食べる?」と声をかけました。

反応はありません。

だから、もう、2度か3度、声をかけました。「ご飯だよ」

さくらは、健気にも

口を大きく開けて、食べ物を咀嚼するそぶりを見せました。

小さい頃からご飯には目がないさくらが、寝たきりになってから

食事が嬉しいという時の反応です。

だから少しだけ、水で溶いた流動食を口に含ませました。それが、最後でした。

ほんの15秒ほど苦しんで、逝ってしまいました。

 

あげなければよかったと思います。

もう、水を飲むのもあんなにたいへんそうだったのに、ご飯だなんて声をかけなければよかったと。それが、私の大きな後悔です。

もし、脱水症状になったとしても、空腹だったとしても、

抱き上げて、何時間でも抱いたままで、静かに逝かせてあげれば良かったと思います。

 

猫は、自分の最期を悟ったら、姿を隠すと良く言いますよね。

室内飼いの猫は、そうはいかないので、飼い主の、もっと生きてほしいという思いで

余計な手をかけてしまいがちです。

猫もこちらが望んでいるんだと思うと、空元気を出して反応してくれちゃいます。

だから、

静かな最期を迎えてもらえるように、

ああ、もう命は尽きるなと思ったら、何もせず、腕に抱いて見届けてあげるのがいいかと。考え方はいろいろあると思いますが、私は、そうしてあげるべきだったと思っています。

 

猫が、水を飲みたくないと言ったら、それは体が受け付けない信号なのだから、

人間が頭で考えてあれこれやるより、

肉体を持っている者自身の自然の感覚に任せる、そういうことが大切だったのかもと思います。

 

もちろん、考え方はいろいろです。

安心して逝ってもらえれば、

飼い主さんにも静かで安心した夜が、そう遠くない日に来ると思うのです。

 

※ちなみにこの写真は、お昼寝中のさくらです。暑い日はレースのカーテンがさわさわ体に触れても風の通る窓の近くでずっと寝ていました。

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