ショートエッセイ いきもの語り

年老いた猫が寝たきりになり、見送りました。3年間このブログを開くことを躊躇っていましたが、コロナ禍で感じ続ける生きていることの奇跡と感謝をあらためて綴ってみようと思います。

介護と、トルコキキョウ

トルコキキョウを買った。
何年ぶりだろう。自室にトルコキキョウを飾るのは。
実はどうも猫は(我が家の、限定かもしれないが)この花の花粉が大好きなようで、
花に頭を突っ込んで「花の中身」を舐めては枯らしがちだった。
なので、猫が元気なうちは、この花を飾れなかった。

今日、園芸店に行ったら、風知草の鉢植えがあった。
その繊細な色と伸びやかな葉のラインが大好きで、いつかベランダを風知草でいっぱいにしたいと思っていたが、
それもずっと諦めざるを得なかった。
猫は、尖った葉っぱが大好きだから。

園芸店で風知草を見た時、
あ、もうこれ、買っていいんだ。と思った。
今やもうベランダにさえ出られなくなった猫しかいない。
だから、もう、いいんだと。
ちょっと寂しかった。

園芸店の帰りに、切り花を買おうと近所の花屋に入ったら
日曜日だからか暑いからかあまり種類がなくて、
ほとんどがトルコキキョウだった。

トルコキキョウは、
日本で売られている切り花の中では、菊、バラカーネーションに次ぐ売り上げを誇る人気の品種らしい。

それほど人気の花を、買えなかった。何年も。
「もう、いいんだ」と思ったらいささか悲しくなるので、
鉢植えの風知草にはまだ手を出せないが、
トルコキキョウ1本ならと、買ってみた。

この花の香りに、寝たきりの猫はちょっとだけ頭を持ち上げて反応したが、
花より昼寝、とばかりにくーんと鼻の奥を鳴らして
目を閉じた。

つまんないの。
と、飼い主は、思う。
ちょっとは喜ぶかなと思ったんだけどな。

今まで諦めていたものを、諦めなくてもいいんだ、
となったことが喜びなのか悲しみなのか。
少々複雑な午後である。

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